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アメリカの罠に嵌まった太平洋戦争 1.

​コミンテルンと対峙した満州建国

「近現代史を学ぶ会」(代表 佐藤和夫 氏)主催で2016年6月4日に行った講演のビデオです。ビデオの第2部のみAJERプレミアム会員契約者限定です。

​戦前、日本陸軍の仮想敵国はソ連であり、海軍が仮想敵国としたのはアメリカでした。  したがって太平洋戦争を読み解く鍵は共産ソ連コミンテルンの戦略とアメリカのオレンジ計画です。

  この講演では、一般に知られていないコミンテルンの実相と 防共のための日本陸軍による満州建国の状況を解説しています。

ロシア革命(1917年)により誕生した共産国家ソ連は周辺地域へ膨張を展開、1924年には蒙古にソ連の保護国としてモンゴル人民共和国を建国。遊牧民族から私有財産である家畜を没収して牧畜集団化をはじめとする社会主義政策を断行していく。1936年にはモンゴル秘密警察を組織し、さらにソ連軍第157軍団の進駐を受容したのち役人・軍人・富豪・僧侶など4万人を処刑する大粛清が行われた。
 中国では辛亥革命(1911年)により南京に中華民国を建国、孫文が臨時大統領となるが国内は混迷を深めた。この機にソ連が介入して支援を行い1924年に第一次国共合作が成立した。
 ソ連の南下と、蒙古・中国の共産主義化に対する強い危機感が、日本の防共国防国家としての満州国建設の原動力となった。

孫文は日本亡命中に頭山満・犬養毅など幅広い交友を持ち、大富豪松方幸次郎や安川財閥総帥安川敬一郎、実業家の梅屋庄吉などから莫大な資金援助を受けた。神戸商業会議所で孫文が演説した「大アジア主義」に多くの日本人が感動・共鳴したが、中国人の間では大言壮語を吐くホラ吹きとみて「孫大砲(ソンダーパオ)と呼ばれていた。孫文を親日家と思っている日本人が多いがれっきとしたソ連派であり、この誤解から日本陸軍は大変な苦難に追い込まれていく。
 蒋介石のことも親日家と信じている保守・右翼系が多いが、ソ連で赤軍の父トロッキーから赤軍の実情を学んで黄埔軍官学校(1924年設立)の初代校長に就いた経歴など、紛れもないソ連派。黄埔軍官学校設立のためソ連は資金200万元・鉄砲8000挺・大量の爆弾を供与している。
 満州では張作霖の死後 張学良が後を継いだ。1929年ソ連の東支(東清)鉄道を強行回収したことを契機にソ連特別極東軍が侵入して満州各地を占領した。
 この当時ソ連は第1次5か年計画が成果を上げ、重工業・エネルギー面で驚異的な発展を遂げており、日本にとって重大な脅威となった。関東軍は「満蒙はソ連軍に対峙する最前線である。この窮状を打開するには満州に『防共国防国家』を建設するしかない」と考えた。
 満州は日本の植民地だった、と言う人がいるが満州国建国は経済的動機によるのではなく、共産ソ連への軍事的対抗で行われた。

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